Update:Sep.29/1998



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■第2号(2000XG,1979)■

その1ヶ月後、私の手元には、横浜ナンバーの54年式XGがありました。   
実は第1号に乗っている頃から、既にこのクルマの後期モデルのバリエーションの広さを知り、最上級グレードのXEを手に入れるべく、当時いすゞの自動車開発部に勤務していた学校の先輩に、捜索願い?を出していました。   
第1号への愛着が薄れていたのは、グレード誤認事件でケチが付いたことが大きかったのだと思います。   
その先輩自身も、特注のレカロシートを載せ、当時試験段階だという、光線の具合によっては、なないろに輝くというシルバーメタリック塗装を施した(今思えばパール塗装だったのか?或いは最近出回り始めたカメレオン塗装のことなのか?)54年式XCに乗っていたそうで、更に、合計でも数基しか造られず、社外に出ることが無かったと言われる幻の競技用4ピニLSDを装着してジムカーナに出ていたらしい。(実は、札幌−横浜という距離であったため、実際に拝見したことはない)   
「XE発見!」の報を心待ちにしていた私の元に届いたのは、「ものすごく程度の良いXGを見つけた」という電話でした。   
既に、旧車といえども装備にもこだわる「ニセエンスー」の頭角を現していた私にとって、パワステの無いXGは、余り乗り気ではありませんでした。   
しかし、結局私は、先輩に押された格好で、車体価格58万円のXGの購入を決めたのでした。   
確かに第2号は、G180ZとG200Wの差をまざまざと見せつけるほど、良く回るエンジンでした。それは愚か、後に乗った2台のXEと比べても明らかに違っていました。   
今思えば第2号は、カムを換えていたか、フライホイールを削っていたのかも知れません。それくらい軽快なエンジンでした。  
  
第2号(54年式XG)

ただ、このとき私が学んだのは、クルマ選びに関しては「迷ったら自分の考えを優先すべし」でした。   
結局私は、(太いタイヤを履いていたこともありますが)背筋を痛めるぐらい重たいステアリングに頭を悩ませたのでした。   
そんな折りに起きたのが「ロワー・アーム脱落事件」でした。  
 
※ロワーアーム脱落事件 
買って1ヶ月程経ったある日、わずか2km程の通勤路で、突然「ゴトン、ガガガガガーッ」という音と共にクルマは急減速。そして止まってしまいました。  
初め、タイヤが外れたのかと思い慌てて降りて見た私はびっくり、フロント片側のロワーアームが脱落して、パタリと地面に寝そべっているではありませんか。 
運良く裏通りでの出来事であったため、クルマの通りが殆どなく、事故は免れましたが、もしも、一本横の大通りで起きていたらと思うとゾッとしました。  
結局原因は、フロント懸架部分のゴムブッシュは愚か、中のボルトまでが腐っていて、これが折れたらしい。 
脱落したロワーアーム

部品を交換すれば済む話とはいえ、この一件で私はかなりビビッてしまいました。加えて、乗っていてびっくりする程とても大きな「フレームのキシみ音」がよく鳴るクルマだったため、「ひょっとして事故車?」の念を当初から抱いていました。 
そして何よりも、諦めきれない最上級グレードXEへの願望。 
私は、XGを手放す決心をしました。中古車情報誌の「売ります」欄に掲載してもらい、40万円で買い手が付きました。第2号とは半年程でお別れでした。 
その後このXGは約1ヶ月の命でした。というのも、買ってくれた人の話によれば、お坊さんの運転するベンツにお釜を掘られて廃車になったとのことでした。
 

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